2021/07/25

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アートドラッグセンターは、 7月31日より守章のビデオ・スクリーニング展〜東京-北九州の往復書簡より〜を開催します。1998年に制作されたビデオ作品の上映に加え、その表現が至った状況を+(プラス)とし、展示いたします。
守章は1996 年、双子の兄弟ユニットとしての活動を開始。東京-北九州、東京-石巻、現在は仙台-石巻と離れた状況で活動を続けています。守章は、「私」と「他者」を結び、遠ざける各種メディアが生む「距離感」、集団や自治体などの区分けに存在する見えない「境界」を視聴覚化する制作を行っている。

会期:7月31日~9月26日 〜12月26日 (土日12時~18時)<展示変えにより期間延長>

会場:ART DRUG CENTER

守章 展

ビデオ・スクリーニング・プラス 東京ー北九州の往復書簡より










洪積世が了って
北上川がいまの場所に固定しだしたころには
こゝらはひばや
はんやくるみの森林で
そのところどころには
そのいそがしく悠久な世紀のうちに
山地から運ばれた漂礫が
あちこちごちゃごちゃ置かれてあった
それはその後八万年の間に
あるいはそこらの著名な山岳の名や
古い鬼神の名前を記されたりして
いま秩序よく分散する

<『校本宮澤賢治全集第六巻』(筑摩書房)93pより>

仙台までの運転中にふと、庭って何だろうと自問していた。
走る三陸道の脇に、時折広がる田んぼ、野原。
これは庭では無い。
庭って「人ん家・ひとんち」である。
無人であっても、かつて人が居た周縁なのだ。
目の前に手がつけられていない、草ボーボーで捨てられ風に流されたゴミが紛れていたとしてもソコはかつて人が居た場所だ。そして、周縁だ。
表札なんて疾うのむかしに無い。
原っぱだけど道じゃ無い。
宮沢賢治は目の前にあって、氷河時代から人類が初めて誕生する万単位も昔から、神話の世界より名前が付けられた時代まで遡って知覚する。
そこから庭が生まれるんだろう。
僕の中に庭がある。
水を注いだら浮いてきて見えるかもしれない。


守 章